2013年7月9日火曜日

須賀川>石川にいきます

あすは須賀川から石川、夕方にはもう一度須賀川へ行きます。

2 件のコメント:

  1. 吉田所長(元)が亡くなったそうです。現地で原発事故を指揮した方です。当時の菅総理が大事故を前に右往左往するばかりで全く要領を得ない東電本社や安全保安院、安全委員会に業を煮やして現場に飛んだときに「やっと話が出来る人に会えた。」と安堵の色を浮かべたといいます。
    吉田所長は事故の真っただ中で何度も死を覚悟したと語っています。「私はあの時、自分と一緒に死んでくれる人間の顔を思い浮かべていた。」・・・「死の淵を見た男」門田隆将著・・・事故の地獄を経験した吉田所長にもっと生きて事故の真実を語ってほしかったと思います。 
    ご冥福をお祈りいたします。 もう二度とこんな悲惨な事故を起こさせない決意とともに。

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  2. 無精髭さん、コメント拝見しました。今でも記憶をしている。海水で冷却を試みることは「廃炉」を意味した。企業人であれば、そのような決断はできるものではない。最近良く使われる言葉に「さむらい」と言うものがある。いわゆる「侍」である。死語でもあるこの言葉が「己の信条を貫くために死を覚悟しても」という表現として使われている。事故後のテレビ会議の中でも、吉田さんは、現場の苦悩をなかなか理解しない本社の幹部に、激しい口調で物を言う一方で、苦労を共にする所員や下請け企業の.作業者への心配りは忘れなかったと伝えている。
    食道がんによる死亡。今は、ご本人の家族への想いもあり、被ばくとの関連については多く語ることはないが、いずれは、その因果関係が取りさだされるだろう。「吉田元所長は被ばく死だ」。いや「その立証はできないなど」の知見の異なりの論争である。しかし、その論争も必要ありとしつつも、私は故吉田昌郎さんが望むのは「いずれは廃炉にしなければならない「巨大廃棄物」を何処に、どのようにして管理するのか」。いわゆる「トイレ問題」の討論、研究、そしていち早く結論を出すことを望んでおられるような気がしてならない。この参議院選の攻防が「原発の廃炉と最終処分のあり方」への討論と警鐘を言葉にすることが大事だと思う。

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